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教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸にきざむこと

第二の「はじめに」

「Barbarian、Gentleman、Nobleman のすすめ」 

「知」を追求するものは、
Barbarianであれ。
未知の領域にずばずばと入り込む、無邪気に侵入する、無遠慮に挑戦をする、が、
原始の人が太陽や巨木を崇めたように、天変地異を畏れたように、
「知」に畏怖の念を持つBarbarianであれ。

「知」を持つものは、
「人」にGentleman/Gentlewomanであれ。
その拠るところは「正直」であり、「誠実」であり、「謙虚」である。

「知」を体現したものは、
「世」にノーブレス・オブリージュを負うものであれ。
自分の信じる世界に義務を負うNoblemanであれ。

塾生よ! 野蛮人であり、紳士・淑女であり、貴族であれ!!!

第2の「瀬戸内塾精神」が生まれようとしている。
新たなスタートである。
少しずつ、少しずつ、言葉に表していこう。

第2回目の「はじめに」である。静かに、そして、激しく進化していく決意である。
March 14th, 2009 記

第一の「はじめに」 

「はじめに」 とくれば、やはりこの塾の拠って立つ所から書き始めるべきであろう。
瀬戸内英語学院の教育理念は 「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸にきざむこと」 である。
この言葉に出会ったのは、塾をライフ・ワークにしようと決心した頃である。
随分と昔のころである。
岩波書店発行の小冊子「図書」の中に、その一文はあった。
その文章の書き手が誰で、その内容がどうであったかの記憶はない。
が、この文言は衝撃であり、今もって強烈な重力を持って私に迫ってくる。

「教えることは学ぶこと」 である、と私は信じている。
教える者は学ぶ者と同様に希望を語り、教える者は学ぶ者と同様に誠実でなければならない。
愚鈍なまでに誠実であらねばならない、と私は信じている。
希望とは山頂である。激しく息切れする攻撃の後に征服できる山頂である。
単調と激変を伴う果てしないほどの航海の後にたどり着くことのできる港である。
しかも、その征服するべき山頂、たどり着くべき港ははるかかなたにある。
この道程での教える者の役目はベースキャンプであり燈台である。そして、「同行二人」である。
目に見える座標であり、目に見えないサポーターである。
時には、自身が山頂であり、港である。
時には、征服されるべき者であり、
「私の肩に乗って前進せよ」と身を乗り出すべき者である。
この時に饒舌であることも偉ぶることも必要ではない。
この過程で必要とされるものは、教える者と学ぶ者の誠実さである。
愚鈍なまでの誠実さである、と私は信じる。

「勉強する」 とは今ここにある問題を解くことである、多くの知識を持つことである。
He lost the key. と He has lost the key. の違いを知ることである。
ピタゴラスの定理を学ぶこと、ボイル・シャールの法則を理解することである。
遣唐使を知ること、ナポレオンを知ること、無名の人々の歴史を知ることである。
漱石を読み、ベートーベンを聴き、猪熊を鑑賞することである。
剣道をし、テニスをし、魚を捕り、美味しいクッキーを作ること etc. etc. etc.
などあらゆる活動である。
「勉強する」 とは 「知的活動とその周辺活動」である。
勉強は真剣でなければならない。そうであれば、この勉強のなかで自分の姿がきっと見えてくる。
国連で働く姿、宇宙ステーションで働く姿、トマトの栽培に汗する姿、
保母さんの姿、商社に勤める姿、役所で働く姿、
外科医の姿、フェルマーの問題に挑戦する姿、様々な自分像が見えてくる。
将来のその姿に向かう過程もが勉強でもあると私は思っている。

人生のある時期に真善美の追求に没頭出来ることは、幸せである。
この真善美を追い求める方法・道具は沢山ある。その探求に参加する人の数だけある。
私はこの方法・手段の内の「英語を通して」 の部門に参加している。ほんの小さな役割である。
芥子粒ではあるが、芥子粒なりの座標を明確にしておきたい。
真善美の追求に没頭出来ることは、幸せである。
真善美を追求し、衣食住の満足を知ることが出来れば、さらに幸せである。
塾生には勉強することを望んでいる。
塾生が幸せであることを願っている。
塾生と彼らを囲む人々が幸せであることを祈っている。

これが瀬戸内英語学院が拠って立つところである。